2016年5月、「海よりもまだ深く」で主演の阿部寛が初めてカンヌ映画祭に登場しました。今となっては一流の俳優となった阿部寛ですが、壮絶な借金地獄の過去を持っています。
今回は俳優・阿部寛の借金問題について見ていきましょう。
プロフィール
阿部寛(あべひろし)
1964年6月生まれ。神奈川県出身。3人兄弟の末っ子として生まれる。中央大学の在学中に「集英社第3回ノンノボーイフレンド大賞」に応募して優勝し、メンズノンノのカリスマモデルとして活躍。その後は不遇の時代を過ごし、今では実力派俳優として活躍。代表作は「TRICK」「結婚できない男」「テルマエ・ロマエ」など。
モデルとして大ブレイクも不動産投資で借金まみれに…
メンズノンノの専属モデルとして大ブレイク!
まず阿部寛が借金を負うまでの経緯を見ていきましょう。
中央大学の在学中に姉に勧められて「集英社第三回ノンノボーイフレンド大賞」に応募し、みごと優勝をはたしました。
今となっては俳優として活躍していますが、芸能界としてのファーストキャリアはモデルで始めることになります。
しかし姉の勧めとはいえ、なぜコンテンストの応募をする気になったのでしょうか?
なぜなら優勝商品の高級車が欲しかったからだそうです。とてもわかり易い理由ですね笑
とにかく、阿部寛はモデルとして活躍の場を広げていくことになります。
特に「メンズノンノ」に関しては創刊から43号まで連続して表紙を飾り、「世界で最も同じ雑誌の表紙を連続して飾った人物」としてギネスブックに掲載されています。
今となってはメンズファッション雑誌を代表するメンズノンノですが、立ち上げ時は阿部寛が雑誌を支える一人だったとは驚きですね。
なぜ阿部寛は数億円もの借金を抱えてしまったのか?
阿部寛がモデルとして大活躍した1980年代といえば、バブルの最盛期でした。
投資した不動産は高い確率で大きなリターンを得られたため、芸能人を始め多くの人が投資に手を出しました。
阿部寛もその一人で、投資のために借金をしてまで投資用マンションを購入しました。
しかしバブル崩壊によりそのマンションの価値は急落し、阿部寛さんは20代にして数億円というマンションの負債が大きく肩にのしかかることになってしまいました。
さらにはバブル崩壊によりファッションにお金をかけることが出来た時代は終わってしまったため、モデルとしての収入や知名度も大きく下がってしまいました。
泣きっ面に蜂とはまさにこういったことなのでしょうか。
映画俳優を目指すも長身がネックに…
モデルとして食べていけなくなってしまった阿部寛はモデルの道ではなく、俳優として再ブレイクすることを決意しました。
初デビュー作は1987年に公開された「はいからさんが通る」という映画で、ファンだった南野陽子さんと共演することができました。
また、アイドルとしての路線も考えたことがあるようです。1988年に出したてアルバム「ABE」をリリースしていましたが、ほとんど売れなかったようでこの一枚で歌手としての活動は終了しています。
当時はモデルから俳優に転向してすぐ上手くいくほど芸能界は甘くなかったようです、阿部寛は芸能界の厳しい現実を突きつけられることになります。
「5年間はかなりきつかった」と本人も語るように、高身長のため他の出演陣との調和が取れず、また顔が濃いためできる役柄の幅が限られてしまいました。
そんな阿部寛ですが、どうやって生計を立てていたのでしょうか?
借金返済のためパチプロ阿部寛の誕生!
生計立てた方法は、なんと最も借金のリスクが高い「パチンコ」でした。
しかしここで終わらないのが阿部寛、月15万円以上稼ぎ生計をなんとか立てれるレベルには勝っていたそうです。
実力はプロ並みで、今でも勝てる自信と語っています。
このパチプロとしての生活が3年間も続いてしまい、かなり堕落した生活を送っていたようです。今の活躍ぶりからは信じ難い過去ですね。しかしこのような生活では到底数億円の借金を返済することはできません。
そんな阿部寛に屈辱的な、そして復活のきっかけとなった番組が届くのでした。
「あの人は今?」で取り上げられてしまい再起することを決意!
それは「過去の人」を取り上げるバラエティー番組『あの人は今!?』でした。
まだまだ若手だった阿部寛にとってこんな屈辱的なことはありません。この特集で再度俳優として頑張ることを決意しました。
過去の栄光は完全に捨て去り、名前のない端役や変なキャラなど、どんな役でも何でも挑戦して演技をイチから学び直しました。
とあるエピソードとしては高倉健さんを俳優として尊敬していたため、高倉健さんがでるドラマに名前の無い脇役でもいいから主演させてほしいと頼み込んでいたそうです。
ついに転機が!個性派俳優として認められるように!
こういった努力が実を結び始めるようになりました。1993年のつかこうへい作「熱海殺人事件」という舞台への出演で、ついに俳優としての転機を迎えます。
この舞台で阿部寛は「バイセクシュアルの刑事」という難しい役を演じきりました。
モデルでオシャレに生きていた人が、中々できる役ではありませんね。実際にバイセクシャルとしてクライマックスでは客席の男性と濃厚なキスをしなければならないという、誰もが避けたい役柄でした。
さすがに抵抗があったそうですが、俳優として生きていくことを決意した以上どんな役でもやり切ると決めており、特に「モデル上がり」から「本格派俳優」として認められたいという一心で演じたと語っています。
1995年にはNHKの大河ドラマ「八代将軍吉宗」の老中の役を獲得しました。パチプロ時代に古武術も習っていたそうで、振る舞いなどそういった経験も生きたようです、この出演以降時代劇のオファーも増えていきます。
こういった努力から次第に「本格化俳優」として認められるようになっていきました。
借金完済!「TRICK」をきっかけに一気にトップ俳優へ!
主役ドラマが次々ヒット!
俳優としての再起をつかんだ矢先の2000年、阿部さんは自身最大のヒット作となったTVドラマ「TRICK」にめぐり合います。
借金を負ってから今まで陽の目を見なかった阿部寛ですが、「バイセクシャル」など変わった役もすべて経験してきたからこそなのブレイクだったのでしょう。
「巨根の物理学教授」の上田次郎という役柄は、大人気となりこの「TRICK」はドラマだけでなくスペシャルドラマ、映画など14年もの間続くことになりました。
その後も「最後の弁護人」「ドラゴン桜」「結婚できない男」で大ヒット作となったドラマの主役を担い、トップ俳優への階段をかけ登って行きました。
年収もあがり借金返済への道が近づいていきます。
映画記者会見で数億円の借金完済を報告!
ついにその時が来ました。
2007年に公開された映画「バブルへGO!!タイムマシンはドラム式」の記者会見で数億円の借金を完済したと報告しました。完済まで20年間。20代のころからと考えるとよくぞここまで耐えたといえるでしょう。
それ後も活躍を続け、「テルマエ・ロマエ」では日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞を獲得しました。数億円の借金を追い、パチンコに明け暮れた生活からここまで復活するとは信じられませんね。
現在の阿部寛は?
映画会見で借金完済を報告!
借金完済告白と時を同じくして、44歳で結婚を発表しました。
悲しんだ女性も多く、人気ぶりが伺えますね。また、「結婚できない男が結婚した」とドラマのタイトルから揶揄されました。
独身生活が長かったためゲイなのでは?との噂もありましたが、借金を完済したことで結婚に踏み切ることができたのかもしれません。
奥さんは15歳下で、結婚後には2人の子供にも恵まれています。
カンヌ映画祭に初登場!「夢のような体験。一生忘れない」
2016年には映画「海よりもまだ深く」でカンヌ映画祭に出品されました。カンヌでは7分間ものスタンディングオーベーションを受け「夢のような体験。一生忘れない」とも語っています。
モデルからパチプロ、パチプロから俳優、そして世界的な俳優へとものすごい勢いで成長していますね。
阿部寛の借金総額は第何位?芸能人・有名人の借金ランキングも見てみて下さいね!